そんな風に思ったのは、本日こんな場所に行ったからです。
住宅街の中にポツンと現れた、小さいけれどこんもりした植栽の美しい場所。
ここは「赤松ぼっくり庭園緑地」という公園で、もとは最高裁判所の公邸があった場所だそうです。
閉鎖後に近隣の自治会が緑地として保全したいと申請して開園した公園と説明板にも書かれています。
説明板の写真には公邸だった時代の石垣などは掲載されていますが、どんな建物があったのかはわかりませんし、ざっとweb検索をしても今のところ見つかりません。
ですが、きっと瀟洒な邸宅で、今見られる植栽は庭園を彩っていた頃はもう少し丈低く、公邸の住人や訪れるお客様の目を楽しませていた事でしょう。
都内の閑静な住宅地、不動産としての価値もそこそこあり、それなりの低層マンションなどを建てるために高値で売却できたと思われる土地を近隣住民の希望に応じて公園として提供したということは、住民側からの「自分たちがしっかり管理するから」という大多数が賛同した条件があってのことかと想像いたします。
公園の中にはゴミだらけだったり、女性や子どもが近寄るのははばかられる雰囲気があったり、不審者の出入りがあったりと、荒廃したものもないとは言えませんが、この公園、遊具等はなく、ベンチがいくつかおかれただけの、まさに庭園緑地として、とても美しく保たれていました。
比較的財政状況が良い都内の公園とは言えども、おそらくボランティアの方々も相当手を入れているのではないかと思われます。
以前住んでいた鄙ヨコハマも近隣では「治安が良い」「閑静な住宅地」と分類される地域で、近隣で大手不動産会社の開発したいわゆる新興住宅地の中のひとつで、自治会エリアにはいくつか公園がありました。
時には夜更けにやんちゃな若者がたむろしたのかタバコの吸い殻が散らばってしまうなどということもありましたが、おおむねきれいに保たれていました。
・・・だってね、住んでいる私たちが定期的に掃除していたんですよ。
沿道もちょっとしたアジサイの名所みたいになっていましたが、それだってどなたかがボランティアで植えてくださって育ったのを、私たちが定期的に手入れしていたんですよ。
特に横浜市は平成以降はしょっちゅう財源がぁと叫んでいるような状況だったので(なので、前市長は当初白紙と言いつつ、突如カジノをと言い出して落選の憂き目を見た訳ですが、ご本人は財源不足を何とかしたい一心だったのかも知れません)、市の土木事務所がやってくれることが減る一方で、住民がやらなくてはな事は増えました。
自治会が抱えていた人数がそれなりだったこともあるし、住民が壮年期だったので、当初は何らかの事情で参加できないことも仕方ないという感じでしたが、近年は高齢化が進み、お年を召された方は作業に参加されない一方で、若い人たちは共働きで土日に駆り出されるのはなぁという感じになっていました。
自治会の環境部というのがありましたが、そのオブザーバーという定年退職された熱心な男性が「自治会内のどこそこの班は出席率が悪くて不熱心」などと参加者の人数をチェックするなど、時にギスギスすることも出て来ました。
それでも家人Aくらいから上の世代は、60歳なり65歳なりで退職した後、収入を得るために仕事をしなくて済む人が多かったから、自治会の沿道美化、公園美化などの活動に参加出来ていました。
またその年代だと妻たちはおおむね専業主婦か、パートやアルバイトなどの割とゆるい働き方でやって来られたので、いわゆる奉仕活動をする余裕がありました。
おそらく今日見た庭園緑地も似たような状況の方々の支えがあっての美しさではないかなと思います。
これがもし一億総活躍とやらで、実質「死ぬまで働け」(税金納めろ、社会保険料納めろ)「3号年金廃止」(専業主婦はもちろん、パート・アルバイトレベルなんて許さないからしっかり働け)となってしまったら、どうなるのでしょうね。
社会的つながりを持ちたくてとか、おこづかい稼ぎ、趣味の足しにというレベルの「自ら望んで」の心身共にゆとりある働き方ではなくて、可処分所得が低い、教育費の高騰で生活が苦しい、年金が足らないなどの、働かないとやっていけないという状態になったら、おそらくは自分と自分の家庭など、非常に身近で利害が直結することだけで手いっぱいになると思います。
公園清掃や沿道美化をはじめとする「やらなくても生活が回る」ことやボランティア活動に協力できるでしょうか?
よほど体力があるか、崇高な志でもない限り、休みの日はからだを休めたり、自分の好きなことをしたいのが普通だし、そうしないと仕事も続かないと思います。
財源を何とかしたい、社会保険料による圧迫を何とかするために、さらに人手不足解消のために、出来るだけ働いて欲しいし、取れるところから取りたいし、出来るだけあげたくないという余裕がない状態では、日中の見守りの目もなくなるし、公園や道路が荒れるたり、治安の悪化が必至ではないかと心配になりました。
目先の得だけ考えて、貧乏神を呼んでしまうパターンではないかしら。
渋ちんの私ですらわかる事。人が生きていくには「ゆとり」や「遊び」が必要! もちろん心身ともに休養が大事!
死ぬまで働け、専業主婦撲滅ムーブメントにははて?
取りやすいところから搾り取るより、削れるところを削る方を考えるべきだと思います。
ただし教育や文化的なものをはじめとする直接的にお金を生み出さずとも大事なものをじゃなくて、例えば中抜きみたいなものをです!!!
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住宅街の中にポツンと現れた、小さいけれどこんもりした植栽の美しい場所。
ここは「赤松ぼっくり庭園緑地」という公園で、もとは最高裁判所の公邸があった場所だそうです。
閉鎖後に近隣の自治会が緑地として保全したいと申請して開園した公園と説明板にも書かれています。
説明板の写真には公邸だった時代の石垣などは掲載されていますが、どんな建物があったのかはわかりませんし、ざっとweb検索をしても今のところ見つかりません。
ですが、きっと瀟洒な邸宅で、今見られる植栽は庭園を彩っていた頃はもう少し丈低く、公邸の住人や訪れるお客様の目を楽しませていた事でしょう。
都内の閑静な住宅地、不動産としての価値もそこそこあり、それなりの低層マンションなどを建てるために高値で売却できたと思われる土地を近隣住民の希望に応じて公園として提供したということは、住民側からの「自分たちがしっかり管理するから」という大多数が賛同した条件があってのことかと想像いたします。
公園の中にはゴミだらけだったり、女性や子どもが近寄るのははばかられる雰囲気があったり、不審者の出入りがあったりと、荒廃したものもないとは言えませんが、この公園、遊具等はなく、ベンチがいくつかおかれただけの、まさに庭園緑地として、とても美しく保たれていました。
比較的財政状況が良い都内の公園とは言えども、おそらくボランティアの方々も相当手を入れているのではないかと思われます。
以前住んでいた鄙ヨコハマも近隣では「治安が良い」「閑静な住宅地」と分類される地域で、近隣で大手不動産会社の開発したいわゆる新興住宅地の中のひとつで、自治会エリアにはいくつか公園がありました。
時には夜更けにやんちゃな若者がたむろしたのかタバコの吸い殻が散らばってしまうなどということもありましたが、おおむねきれいに保たれていました。
・・・だってね、住んでいる私たちが定期的に掃除していたんですよ。
沿道もちょっとしたアジサイの名所みたいになっていましたが、それだってどなたかがボランティアで植えてくださって育ったのを、私たちが定期的に手入れしていたんですよ。
特に横浜市は平成以降はしょっちゅう財源がぁと叫んでいるような状況だったので(なので、前市長は当初白紙と言いつつ、突如カジノをと言い出して落選の憂き目を見た訳ですが、ご本人は財源不足を何とかしたい一心だったのかも知れません)、市の土木事務所がやってくれることが減る一方で、住民がやらなくてはな事は増えました。
自治会が抱えていた人数がそれなりだったこともあるし、住民が壮年期だったので、当初は何らかの事情で参加できないことも仕方ないという感じでしたが、近年は高齢化が進み、お年を召された方は作業に参加されない一方で、若い人たちは共働きで土日に駆り出されるのはなぁという感じになっていました。
自治会の環境部というのがありましたが、そのオブザーバーという定年退職された熱心な男性が「自治会内のどこそこの班は出席率が悪くて不熱心」などと参加者の人数をチェックするなど、時にギスギスすることも出て来ました。
それでも家人Aくらいから上の世代は、60歳なり65歳なりで退職した後、収入を得るために仕事をしなくて済む人が多かったから、自治会の沿道美化、公園美化などの活動に参加出来ていました。
またその年代だと妻たちはおおむね専業主婦か、パートやアルバイトなどの割とゆるい働き方でやって来られたので、いわゆる奉仕活動をする余裕がありました。
おそらく今日見た庭園緑地も似たような状況の方々の支えがあっての美しさではないかなと思います。
これがもし一億総活躍とやらで、実質「死ぬまで働け」(税金納めろ、社会保険料納めろ)「3号年金廃止」(専業主婦はもちろん、パート・アルバイトレベルなんて許さないからしっかり働け)となってしまったら、どうなるのでしょうね。
社会的つながりを持ちたくてとか、おこづかい稼ぎ、趣味の足しにというレベルの「自ら望んで」の心身共にゆとりある働き方ではなくて、可処分所得が低い、教育費の高騰で生活が苦しい、年金が足らないなどの、働かないとやっていけないという状態になったら、おそらくは自分と自分の家庭など、非常に身近で利害が直結することだけで手いっぱいになると思います。
公園清掃や沿道美化をはじめとする「やらなくても生活が回る」ことやボランティア活動に協力できるでしょうか?
よほど体力があるか、崇高な志でもない限り、休みの日はからだを休めたり、自分の好きなことをしたいのが普通だし、そうしないと仕事も続かないと思います。
財源を何とかしたい、社会保険料による圧迫を何とかするために、さらに人手不足解消のために、出来るだけ働いて欲しいし、取れるところから取りたいし、出来るだけあげたくないという余裕がない状態では、日中の見守りの目もなくなるし、公園や道路が荒れるたり、治安の悪化が必至ではないかと心配になりました。
目先の得だけ考えて、貧乏神を呼んでしまうパターンではないかしら。
渋ちんの私ですらわかる事。人が生きていくには「ゆとり」や「遊び」が必要! もちろん心身ともに休養が大事!
死ぬまで働け、専業主婦撲滅ムーブメントにははて?
取りやすいところから搾り取るより、削れるところを削る方を考えるべきだと思います。
ただし教育や文化的なものをはじめとする直接的にお金を生み出さずとも大事なものをじゃなくて、例えば中抜きみたいなものをです!!!