誰も訪れる人がいないし、訪問先もない老人ふたりだけの正月。

  実に寂しく味気ないようでもあり、まことに勝手きままでもあります。

  かわいくないヤツですが、子どものころから正月はあまり好きではありませんでした。

  なぜかと言うと「お正月なんだからきちんとしなさい」と叱られることが多いし、お年玉をもらえるのはちょっと嬉しいけれど、6歳上の兄とあからさまに差をつけられたりしたからです。

  既出だとは思いますが、小学校低学年の時、兄は1000円貰えたのに私は300円だったことがあります。

  明治30年生まれの祖父としては「兄は長男で跡取りである孫。妹の方はいずれ出ていくし女の子だし、キリのいい300円でいいだろう」だったのだと思います。

  6歳違いなのに、差額が700円というのは、1歳x100円=600円の差なら我慢できるけど、おかしい。
  と思った私は「600円の差ならわかるけど、700円も少ないこんなの要らない!」と言うようなことを言ってお年玉袋を放り投げたのであります。

  母は私のふるまいに対して昔気質の祖父が、かつて自分に対して落としたような雷を落とすだろうと予期して恐れをなしていたそうです。

  が・・・・

  「そうか、そうか悪かった」と言って、祖父はいったん引き取ったお年玉袋に500円を入れて渡してくれました。

  もちろん私は大満足。雷が落ちる現場を見ずに済んで母は胸を撫でおろしたようです。

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  しかしながら、母は私のかわいげのない計算高さにも危機感を抱いたようです。

  こんなに小さな時から妙にしっかりしていて可愛げがないと、この子は先々嫁の貰い手がないに違いない。

  今ならば人権侵害ですが、女性が25歳過ぎても非婚、未婚だと非常にかなり肩身の狭い思いをする時代で、そんな娘がいる母親の肩身の狭さも相当だったのです。

  お年玉ぶん投げ事件以降、事あるごとにもっと花や蝶、カワイイものを追えという圧が加わり、次第に「勉強しなさい」「宿題やりなさい」よりずっと大きい声となりました。

  その声から逃れられたのは母と離れてお店も自由に行けないような八ヶ岳の山の中で暮らしている間でした。祖母は母よりずっと合理主義者でしたので、大きな家具を動かすとか、小さな畑で野良仕事をする時などはあ〜せえ、こ〜せえとうるさかったですが、それ以外の時は放置してくれました。

  八ヶ岳が好きになったのは、景色の美しさや気持ちの良い友だち関係だけじゃなくて、どうもその辺りがあるみたいに思うのです。

  寒さに弱くなって、お正月は自宅もしくは暖房完備温泉付きの旅先などで過ごすようになって久しいですが、お正月の頃の八ヶ岳のピンと張りつめた空気、夕焼けに染まる空の下にそびえる南アルプスや富士山の姿は他の季節には見る事の出来ない美しさです。

  機会がありましたら、ぜひ真冬の八ヶ岳エリアにいらして絶景をご覧いただければと思います。

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