今日は阪神淡路大震災からちょうど30年の節目を迎えました。

  朝のニュース番組では早朝から慰霊が行われている神戸の様子と共に、震災の時に生まれていない若い世代をはじめとして、これからどうやって語り継いでいくべきかというミニ特集も見ました。
  
  あまりにつらい経験をすると口にするのも辛いということもあるけれど、風化させてはいけないと、努力しておられる方々の姿も映りました。
   そんな大事な日ですが、我が家はハウジングメーカーの2年点検の日となりました。

   (もとは12月に予定していたものを家人Aの都合でずらしてもらったら今日になりました)。

   こちらから気付いた点もいくつかお伝えして、これはメーカーと直接交渉した方が良いという部分と、後日手直しをしてくれるという箇所がいくつか見つかりました。

   その日を今から押さえちゃいましょうと都合を聞かれた日が3月10日。

   思わず「東京大空襲の日ですね」と言ってしまったのですが、私より一まわりくらい年下なのかなという壮年男性二人の「え、そうなんですか」と言う反応に驚いてしまいました。

   そうか、今年で敗戦から80年、阪神淡路大震災からまだ30年でも風化を心配する声が上がっている上に、当時は報道管制も敷かれていて、敗色濃い空襲の事など極力取り上げられなかったに違いなく、大都市圏や軍事施設がない場所では別世界の出来事みたいだったことでしょう。

   私のように父からは青山通りに5メートルごとにご遺体の山が出来ていたとか、当時世田谷に住んでいた母や祖母からは都心爆撃で遠くの空が真っ赤になって、ふわふわと金襴緞子の帯の模様が浮き出た灰が飛んできたとか、懇意にしていた女医さんがひどいやけどで皮を垂らしながら我が家にかけ込んで来たいうような話を聞いたことがなくて、教科書でしか見たことがなかったら印象に残らないかも知れません。

  (そもそも学校の歴史の授業は大概明治維新どまりでその先は駆け足になりますし)

  去年のノーベル平和賞では被団協が受賞されたし、広島・長崎を訪れる外国人観光客も増えて、リアルに原爆体験された方々が減っていく中でも、未来に向けて記憶をつないでいくことが出来そうな希望がありますが、東京大空襲も戦争の愚かさと残虐性を繰り返さないように語り継がれていくべきだと思います。

  そして、もちろん、阪神淡路大震災や東日本大震災、そして昨年元日の能登半島の被災なども語り継いで行かなくてはです。

  この3つの大震災の中では1番古い阪神淡路大震災、当時の赤ちゃんが30歳、30歳だった方は60歳となっておられる訳ですが、今のうちに語り継ぐ体制を整えていくのは大事だと思います。

  2年点検のしめくくりにそんなことを思った日でした。

  改めて災害や戦災でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表します。

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