本が好き!の献本でいただいた本、読み終えました。

  親世代が戦中派。

  亡母はサザエさん一家が住んでいる事になっている桜新町界隈に住んでいて、都心爆撃で空が真っ赤に染まるのを見たと語っていましたが、今の千代田区、かつての麹町区で生まれ育った亡父の方は空襲で家を喪失。その後の混乱期に赤の他人が勝手に所有権を主張したとかで、土地まで失うという絵にかいたような没落パターンでした。

  父たち家族はまっいっか〜気質らしかったようで(そこは私がもらったようです)、戦後の混乱などもあったのでしょうけれど、失った土地を取り戻すこともせずに恬淡と暮らしておりましたが、日本が戦争に向けて走り出した時期、戦時中の記憶は鮮やかだったようで、特に子どものころ、渋谷に住んでいた時にはどこそこにはかつて何があったという話をよく聞きました。
  
  父の話の中で印象的なのは、雪の降る二・二六事件の朝、中学校に通うので赤坂の反乱軍が占拠している建物の前を通ったが、学校へ行くと言ったら、特にとがめだてもなくすんなりと通れたという話でした。

  やる気があったのは上層部だけ、ヒラの兵隊は何が行われているのか分かっていなかったのではないかと中学生時代の父は思ったようです。

  その赤坂の反乱軍の本拠地というのが、かつて大火災の悲劇が起きたホテルニュージャパンの辺り、今はジブラルタ生命の入っているビルが建っているあたりです。

  蛇足ながら私はホテルニュージャパンの大火災の日の朝、東京中からかき集めたのではないかというほどの消防車が6車線道路を通行止めにして黒煙を吐き出しているホテルに向かって消火活動を行う中、通勤するからと許可を得て通らせてもらったので、親子でほぼ同じ地点で似て非なる経験をしております。

  どこそこに練兵場があったとか、かつての名称を聞かされたこともありますが、記憶は薄ぼんやりしています。

  金沢市に国立工芸館が転出する前に工芸館として使われていたのは旧近衛師団。私が子どもの頃は工芸館として使われる前で、無人のレンガ建築でした。近衛兵と言えば、見め麗しいエリート中のエリート。戦前の子どもたちの憧れでもあったようで、母などレンガ建築を見ながら、心なしかうっとりしているように見えました。

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 何と、今、ブログ管理画面の中の過去の画像を探し出したら、一発で重文指定を受けているその建物が出て参りました(ふつうは何度も何度も画像ファイルをクリックしては探し出すパターンです)。

  こういう有名なごく一部の施設以外は、空襲で破壊されてしまったり、教科書に墨を塗ったが如く、軍国主義を象徴するけしからん存在として壊されたり、公園になったり、公共建築や住宅に建替えられたりしてしまって、跡形もないというのが殆どですが、スクラップ&ビルトが全国的に見ても最も激しい東京ですら、痕跡が未だにあちらこちらに残っているというのが、この本を読んでわかりました。

  特に石碑や境界石と言った、地味で目立たないものは、敢えて除けずにひっそりと残されているようです。

  先月末に友人と下北沢でランチした時、実はスタート地点は駒場野公園という場所でした。駒場東大前の駅を中心に、東大と反対側にあるそんなに広くはないけれど、緑が多くてバードウォッチングの隠れた名所だそうですが、ここは将軍のお狩場だったというのは知っていましたが、陸軍獣医学校があったそうです。

  界隈にはただいま再放送中の「坂の上の雲」の主人公のひとりで騎兵隊の父と呼ばれる秋山好古連隊長が建立した碑もあるとは・・・ちっとも知りませんでした。

  駒場界わいから国道246号線くらいまで、警視庁の第三機動隊や陸上自衛隊三宿駐屯地などがあるのですが、それもかつての軍施設の跡を利用したものと思われます。

  とこんな調子で、東京都23区にあったたくさんの軍関係施設(だからこそ爆撃を受けたとも言えますが)を地図とモノクロ写真で紹介している、現存している目立たない存在を多く含む戦跡巡りガイドブックになっていて、とても面白く読めました。

  中島飛行機があった武蔵野市をはじめとする都下の情報も掲載されています。

大軍都東京 忘れられた日本の戦争遺跡を訪ねる [ 黒田 涼 ]
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