先月、大臼歯が欠けたので自費診療のセラミックの詰め物をしてもらう覚悟でビビりながら本日は歯医者さんに行きました。
ところがありがたいことに『セラミックや金属だと歯をだいぶ削らなくてはなのでとりあえずは軽く削るだけで済む虫歯治療のレジンで埋めてみましょう』とのお言葉で、保険診療で済みました。
ヽ(´▽`)/
ところがありがたいことに『セラミックや金属だと歯をだいぶ削らなくてはなのでとりあえずは軽く削るだけで済む虫歯治療のレジンで埋めてみましょう』とのお言葉で、保険診療で済みました。
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来月のカードの引き落としではフランス旅行代や海外旅行保険、キャンセル保険(→相当高かったけど精神衛生上は有効でした)などなどドッカン!と引かれるし、ウサギ山小屋のベランダ周り、夏に洗濯物が乾かない原因の木々の伐採を反対する家人Aに対し『おいらが払うから文句言うな!』と啖呵を切ったので、とにかく物入りなので、ホッとしました。
もちろん部分的に欠けたとはいえ健康な歯をいっぱい削らないで済むことに対する安堵も大きいです。
……って書いていて思うのですが、ビビったり悩んだりするのが、ここのとこはほぼぜ〜んぶ自分のことなのがありがたいです。
たまに家人Aの病院関係で説明聞かなきゃだったり、郵便局IDがわからなくなった家人Aに代わり、柿配りなど身内にゆうパックを送る時には必ず同伴して、私の郵便アプリを通して送らなきゃなどと言うことはありますが、多少は面倒くさくてもそこまで大変ではないです。
思えば子ども時代は友だちが出来ない、友だちとうまく行かない、宿題に追われる、算数と体育が極度に苦手、長じては受験、就職活動、そして折々に出遭う女性ならではの難儀、痴漢にセクハラなどなど、自分ごとではあるものの、当時の自分にはズーンと重いことがたくさんありました。
家庭内もいまいち。既出ですが兄のことは大嫌い、両親の仲はいまいちだし、祖母と婿養子の父はギクシャクしてるし……おまけにしたくもない転居やら転校、アウェイの環境にぶち込まれることが周囲の友だちに比べるとかなり多い方でした。
結婚してみたら…このブログで度々ブツブツ言うような感じですし、子育ても結構大変でした。
今で言う熱中症で二度ほど搬送された父を含め家族が救急車に乗せられること4回ほど、自分も一回搬送されました。
うち一回は家人Bの交通事故による大怪我で警察の方からも大事故になるところでしたと言われるレベルで当時存命の義父母に知られないために緘口令を敷き、口の軽い家人Aも守ったほどの出来事でした。
コロナ禍の真っ只中、家人Aが転倒し頭を打ち、私は誰?ここはどこ?状態になり、のちに連続爆破犯の桐島容疑者が偽名を使い最期を過ごした大病院に搬送されたこともありました。
子育てでいちばん助けが欲しい時期に実家の母が末期がん宣告を受け、心が削られるような日々を経たのちに別れがありましたし、子育て終盤期は身内の高齢者にいつ何があるかわからないとビクビクものでした。
大きな災害や事故に遭われた方々や難病に罹患したり重度の障害のある方々から見たら甘っちょろいと言われて当然だとは思いますが、私にとっては結構ハードな日々でした。
ありがたいことにそう言うのがないんです、今は。
生きるのって結構波高しと思えたのが、波がだいぶ引いて来たなと思えたのは、父や祖母が立て続けに亡くなる頃からでした。
それでも家人Bの就活がうまくいかなかったり、東日本大震災後の不安な日々などなどありましたが、授業参観、PTA、医療機関への付き添い、折々のトラブル対処、進路決定などに気持ちと時間を割いてきた子どもたちが『かまってくれるな』状態になり、寂しさもあるけれど波がドドーッと引いた状態になりました。
自分もぼちぼち健康状態に不安が出始める時期で後期高齢者となった家人Aの今後など、不安に思い始めたらキリがありません。
まぁ、家人Aは両親が共に95歳越えの長寿でしたから、私の両親の寿命の平均75歳強より20年も長いんだからお気張りやす!だし『善人は早死にする』ルールで言えば大丈夫だろうからあんまり気にしないことにします。😁
(私の祖母が102才の長寿だったのはThreadsで8000人を越える方々にご賛同いただきましたが59才で未亡人になったからです➖おじいちゃま、ごめんなさい🙇♀️)
凪だと思える今を楽しんでいきたい(行きたい、生きたい)と強く思いますし、このまんま凪が続いて静かにフェードアウト出来ればと願っています。

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もちろん部分的に欠けたとはいえ健康な歯をいっぱい削らないで済むことに対する安堵も大きいです。
……って書いていて思うのですが、ビビったり悩んだりするのが、ここのとこはほぼぜ〜んぶ自分のことなのがありがたいです。
たまに家人Aの病院関係で説明聞かなきゃだったり、郵便局IDがわからなくなった家人Aに代わり、柿配りなど身内にゆうパックを送る時には必ず同伴して、私の郵便アプリを通して送らなきゃなどと言うことはありますが、多少は面倒くさくてもそこまで大変ではないです。
思えば子ども時代は友だちが出来ない、友だちとうまく行かない、宿題に追われる、算数と体育が極度に苦手、長じては受験、就職活動、そして折々に出遭う女性ならではの難儀、痴漢にセクハラなどなど、自分ごとではあるものの、当時の自分にはズーンと重いことがたくさんありました。
家庭内もいまいち。既出ですが兄のことは大嫌い、両親の仲はいまいちだし、祖母と婿養子の父はギクシャクしてるし……おまけにしたくもない転居やら転校、アウェイの環境にぶち込まれることが周囲の友だちに比べるとかなり多い方でした。
結婚してみたら…このブログで度々ブツブツ言うような感じですし、子育ても結構大変でした。
今で言う熱中症で二度ほど搬送された父を含め家族が救急車に乗せられること4回ほど、自分も一回搬送されました。
うち一回は家人Bの交通事故による大怪我で警察の方からも大事故になるところでしたと言われるレベルで当時存命の義父母に知られないために緘口令を敷き、口の軽い家人Aも守ったほどの出来事でした。
コロナ禍の真っ只中、家人Aが転倒し頭を打ち、私は誰?ここはどこ?状態になり、のちに連続爆破犯の桐島容疑者が偽名を使い最期を過ごした大病院に搬送されたこともありました。
子育てでいちばん助けが欲しい時期に実家の母が末期がん宣告を受け、心が削られるような日々を経たのちに別れがありましたし、子育て終盤期は身内の高齢者にいつ何があるかわからないとビクビクものでした。
大きな災害や事故に遭われた方々や難病に罹患したり重度の障害のある方々から見たら甘っちょろいと言われて当然だとは思いますが、私にとっては結構ハードな日々でした。
ありがたいことにそう言うのがないんです、今は。
生きるのって結構波高しと思えたのが、波がだいぶ引いて来たなと思えたのは、父や祖母が立て続けに亡くなる頃からでした。
それでも家人Bの就活がうまくいかなかったり、東日本大震災後の不安な日々などなどありましたが、授業参観、PTA、医療機関への付き添い、折々のトラブル対処、進路決定などに気持ちと時間を割いてきた子どもたちが『かまってくれるな』状態になり、寂しさもあるけれど波がドドーッと引いた状態になりました。
自分もぼちぼち健康状態に不安が出始める時期で後期高齢者となった家人Aの今後など、不安に思い始めたらキリがありません。
まぁ、家人Aは両親が共に95歳越えの長寿でしたから、私の両親の寿命の平均75歳強より20年も長いんだからお気張りやす!だし『善人は早死にする』ルールで言えば大丈夫だろうからあんまり気にしないことにします。😁
(私の祖母が102才の長寿だったのはThreadsで8000人を越える方々にご賛同いただきましたが59才で未亡人になったからです➖おじいちゃま、ごめんなさい🙇♀️)
凪だと思える今を楽しんでいきたい(行きたい、生きたい)と強く思いますし、このまんま凪が続いて静かにフェードアウト出来ればと願っています。

