洗濯するものがたくさんあるからお天気が良いようにと願っていたのに朝から冴えない天気です。雨戸を開けると雨こそ降っていないものの空はどんより空気は冷たい。
仕方ないので洗濯物は室内に干しました。
おまけに午前9時台になると窓の外にはボテボテした感じの雪が降っているのが見えました。
急な坂の多い箱根にいたら結構大変だったかも知れません。
移動は交通機関任せで歩く距離もたいしたことなく、食べて楽していた割には疲れたようで(動いても動かなくても疲れるお年頃らしい💧)、昨晩は早々に風呂に入り9時前には寝床に転がり込みましたが、その分、早朝に目が覚めて、よせばいいのにスマホを覗くという愚かな所業に及んだために、そのまんま寝そびれました。
朝家事を終えた後、到着予定だった宅急便を受け取って一安心した後はだらけて過ごすこととなりました。
先日図書館から借りたこの本を読んで「いいなぁ、ボロ宿」と思います。「ボロ宿」はドラマ化されたこともありました。
ホテルのマクドナルドと呼んでいる東横インを使うような味気なく安直なことはしない著者。
飲んで食べるが好きな男性のひとり旅というのも大きいでしょう。非力な女性のひとり旅だとやっぱり鍵がしっかりかかることは大事。
著者は混浴温泉なども楽しんでおられますが、混浴は運悪く一緒になった人をドン引きさせるくらいならまだしもお宿に幽霊が出ると言う風評被害を与えてしまうかもと思うと全く気が進みません。
「ボロ宿」というのは決してけなしている訳ではなくて愛ある著者独特の言葉なのは読むとすぐにわかります(前書きにも書いてはありますが)。
コロナ禍前に泊まったお宿はその後閉業してしまったところもあって、本文中には宿の方との会話や食事の様子などが生き生きと描かれているだけに残念です。
人生を振り返ってみて、ボロ宿の範囲に入りそうだったお宿はどれくらいあるかなと思いますと・・
何と言っても学生時代の同好会の合宿で行った御宿の宿がすごいボロでした。今どきの学生さんならそっぽを向くかむしろレトロと喜ぶのか謎ですが、子ども時代のトイレはボットンが多数派だった世代ですし、終戦直後のやみ市の名残も見てきている世代ですし、何より学生の身分で文句は言えないという感じでした。
滑りの悪い木の雨戸に節穴があったような気もしますが・・・壁の穴からチュー公が覗いたのはびっくりしましたが、当時の学生はだからと言ってきゃ〜〜〜と騒いだ記憶はありません。もちろん、八ヶ岳でチュー公との格闘経験があった私はそれくらい何さでございました。
ボロというのではなくて古くてゆかしい感じの宿でしたら、両親と言った足利の旅館や母が連れて行ってくれた京都や奈良の宿がありました。
母が選んだのですからおそらく料金がお手頃だったのだと思います。
足利の宿はやはりコロナ禍のせいなのか閉業してしまったようです。京都の宿は名前を変えて結構高級寄りになっていました。奈良の宿は旅館はやめて料理屋専科になったようです。
祖父の法事で祖父の故郷の現今治市の民宿に泊まったことがありますし、祖母の故郷の小浜でも民宿に泊まったことがありましたが、前者はとっくになさそうですし、後者は名前を憶えていない始末。
そうそう、昭和40年代半ばに両親が八ヶ岳に家を建てる前には地元の民宿に何度かお世話になりました。この本の定義で言うところの「ボロ宿」と言えそうですが、室内は清潔で宿の人も親切でした。残念ながらそちらももうありません。
あとは修学旅行向けの旅館がサービス面ではボロ宿と呼ぶのにふさわしかったように思います。
特に中学の修学旅行は1学年600人という大所帯を前後に分けて300人ずつにしてもすごい人数で、熱いものも冷たいものもすべて生ぬるく、ちゃっちいプラステチックの食器、風呂は入れたんだか入れなかったのか全く記憶にありません。記憶に間違いがなければそのホテル、まだ京都の中心部にありますが、外側は同じでも多分、中はかなり変わっているはず。
そんな自分の時代のないない尽くしが当たり前、連れてってもらえるだけでありがたい修学旅行の宿と、家人Bのグレード低めとは言え都ホテルグループ、家人Cに至ってはな、なんと京都グランビアホテルを使ってたのにはビックリでした。
選択肢が増えた今どきの若者は「ボロ宿」に泊まるとしたら好き好んでのことでしょうし、当たりはずれも楽しみのうちかも知れません。
今の自分は大外れとなるリスクを取るよりは無難な方を取ってしまっていますが、当たりのボロ宿に泊まってみたいなぁ。
・・・と旅から戻ってすぐに思うヤツです。(^^ゞ
(某チェーンの格安ホテルとか、格安パックツアーで利用ホテルの何か所かはそれぞれにかなりボロでしたが、それらはこの本でいうところのボロ宿の定義からは外れるはず)
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仕方ないので洗濯物は室内に干しました。
おまけに午前9時台になると窓の外にはボテボテした感じの雪が降っているのが見えました。
急な坂の多い箱根にいたら結構大変だったかも知れません。
移動は交通機関任せで歩く距離もたいしたことなく、食べて楽していた割には疲れたようで(動いても動かなくても疲れるお年頃らしい💧)、昨晩は早々に風呂に入り9時前には寝床に転がり込みましたが、その分、早朝に目が覚めて、よせばいいのにスマホを覗くという愚かな所業に及んだために、そのまんま寝そびれました。
朝家事を終えた後、到着予定だった宅急便を受け取って一安心した後はだらけて過ごすこととなりました。
先日図書館から借りたこの本を読んで「いいなぁ、ボロ宿」と思います。「ボロ宿」はドラマ化されたこともありました。
ホテルのマクドナルドと呼んでいる東横インを使うような味気なく安直なことはしない著者。
飲んで食べるが好きな男性のひとり旅というのも大きいでしょう。非力な女性のひとり旅だとやっぱり鍵がしっかりかかることは大事。
著者は混浴温泉なども楽しんでおられますが、混浴は運悪く一緒になった人をドン引きさせるくらいならまだしもお宿に幽霊が出ると言う風評被害を与えてしまうかもと思うと全く気が進みません。
「ボロ宿」というのは決してけなしている訳ではなくて愛ある著者独特の言葉なのは読むとすぐにわかります(前書きにも書いてはありますが)。
コロナ禍前に泊まったお宿はその後閉業してしまったところもあって、本文中には宿の方との会話や食事の様子などが生き生きと描かれているだけに残念です。
人生を振り返ってみて、ボロ宿の範囲に入りそうだったお宿はどれくらいあるかなと思いますと・・
何と言っても学生時代の同好会の合宿で行った御宿の宿がすごいボロでした。今どきの学生さんならそっぽを向くかむしろレトロと喜ぶのか謎ですが、子ども時代のトイレはボットンが多数派だった世代ですし、終戦直後のやみ市の名残も見てきている世代ですし、何より学生の身分で文句は言えないという感じでした。
滑りの悪い木の雨戸に節穴があったような気もしますが・・・壁の穴からチュー公が覗いたのはびっくりしましたが、当時の学生はだからと言ってきゃ〜〜〜と騒いだ記憶はありません。もちろん、八ヶ岳でチュー公との格闘経験があった私はそれくらい何さでございました。
ボロというのではなくて古くてゆかしい感じの宿でしたら、両親と言った足利の旅館や母が連れて行ってくれた京都や奈良の宿がありました。
母が選んだのですからおそらく料金がお手頃だったのだと思います。
足利の宿はやはりコロナ禍のせいなのか閉業してしまったようです。京都の宿は名前を変えて結構高級寄りになっていました。奈良の宿は旅館はやめて料理屋専科になったようです。
祖父の法事で祖父の故郷の現今治市の民宿に泊まったことがありますし、祖母の故郷の小浜でも民宿に泊まったことがありましたが、前者はとっくになさそうですし、後者は名前を憶えていない始末。
そうそう、昭和40年代半ばに両親が八ヶ岳に家を建てる前には地元の民宿に何度かお世話になりました。この本の定義で言うところの「ボロ宿」と言えそうですが、室内は清潔で宿の人も親切でした。残念ながらそちらももうありません。
あとは修学旅行向けの旅館がサービス面ではボロ宿と呼ぶのにふさわしかったように思います。
特に中学の修学旅行は1学年600人という大所帯を前後に分けて300人ずつにしてもすごい人数で、熱いものも冷たいものもすべて生ぬるく、ちゃっちいプラステチックの食器、風呂は入れたんだか入れなかったのか全く記憶にありません。記憶に間違いがなければそのホテル、まだ京都の中心部にありますが、外側は同じでも多分、中はかなり変わっているはず。
そんな自分の時代のないない尽くしが当たり前、連れてってもらえるだけでありがたい修学旅行の宿と、家人Bのグレード低めとは言え都ホテルグループ、家人Cに至ってはな、なんと京都グランビアホテルを使ってたのにはビックリでした。
選択肢が増えた今どきの若者は「ボロ宿」に泊まるとしたら好き好んでのことでしょうし、当たりはずれも楽しみのうちかも知れません。
今の自分は大外れとなるリスクを取るよりは無難な方を取ってしまっていますが、当たりのボロ宿に泊まってみたいなぁ。
・・・と旅から戻ってすぐに思うヤツです。(^^ゞ
(某チェーンの格安ホテルとか、格安パックツアーで利用ホテルの何か所かはそれぞれにかなりボロでしたが、それらはこの本でいうところのボロ宿の定義からは外れるはず)


