明治41年生まれの祖母は物あふれの時代に生まれていないし、戦中戦後は物のない苦労をしているので物をパカパカ捨てることはせず、取っておけば何かに使えるかもという物は捨てませんでした。
そういう使えるかも知れないと判断したものは、半世紀前の自動車もなく歩くしかなかった二人で過ごした八ヶ岳では「捨てなかった紐を使ってインゲンと支柱をくくりつける」「木切れは風呂釜についている長府ボイラーでくべる」「ダンボールをカグスベールのように使ってタンスを動かす」などなど、様々な場面でそれなりに活用されました。
半面、これはもう使わないという時の見切り方はなかなかのものでした。
そこまでしなくてもと思ったのは、子どもの時に祖母が赤いウールの着物に大きな桜や梅みたいな花のアップリケをしてくれた振袖。
今の自分ならすごく貴重かつ個性的だと珍重しますが、昔の私は「みんなと同じが良い」でして普通の染めで華やかな柄の着物が良かったので放置しておりました。
身長も伸びて小学校低学年の時に着た着物が高校生になって着られたとも思えませんが、ある時祖母はその振袖を「座布団の側にする」と言ってジャキジャキ切り刻んだのはビックリでした。続きを読む
そういう使えるかも知れないと判断したものは、半世紀前の自動車もなく歩くしかなかった二人で過ごした八ヶ岳では「捨てなかった紐を使ってインゲンと支柱をくくりつける」「木切れは風呂釜についている長府ボイラーでくべる」「ダンボールをカグスベールのように使ってタンスを動かす」などなど、様々な場面でそれなりに活用されました。
半面、これはもう使わないという時の見切り方はなかなかのものでした。
そこまでしなくてもと思ったのは、子どもの時に祖母が赤いウールの着物に大きな桜や梅みたいな花のアップリケをしてくれた振袖。
今の自分ならすごく貴重かつ個性的だと珍重しますが、昔の私は「みんなと同じが良い」でして普通の染めで華やかな柄の着物が良かったので放置しておりました。
身長も伸びて小学校低学年の時に着た着物が高校生になって着られたとも思えませんが、ある時祖母はその振袖を「座布団の側にする」と言ってジャキジャキ切り刻んだのはビックリでした。続きを読む




)を覗いてみました。
と出歩けることに幸せを感じました。(^^♪
