駅前銀行の通帳記帳機で拒絶され、窓口で通帳を作り直して貰いました。

こういう時に必ず思い出してしまうのが、八ヶ岳の高校時代、甲斐小泉駅そばの郵便局でいっぱいになった通帳を切替た時、オジサン局員が古い通帳を返してくれず、高校生で無知だった私は、返してくださいと言えなかった事。

同居の祖母から常日頃、私たちはよそ者なのだから、大人しく、控えめにと言われていたし、当時はふんぞり返ったサービス提供者が郵便局、役所、日通、電電公社などなど色んなところにいて、田舎の郵便局のオジサン局員なぞもその一人に見えて、恐ろしくて何かしら要求なんて出来なかった、特に女で、学生で、しかもよそ者の自分は、という状況でした。

でも、今タイムマシンに乗ってどっか好きな時間に戻してやるぞと言われたら、最優先とは言いませんが、トップテンには入りそう。(-.-;)

通帳返して!

何しろ、小学生の時に初めて作って貰った通帳で、お年玉やら小遣いやら、父がこっそり渡してくれ、恐らくはそれが一番大きかった小銭の集積、などなどを貯金して来た記録になる、いわば私の節約の原点となる通帳で愛着もひとしおです。

多分、その時にはそんなに真剣に思わず、後に自分で稼ぐと言う状況になってから、愛着やら哀惜やらがだんだん湧いて来たのでしょうね。

逆に言うと、あの時、オジサン局員が今ならどの銀行員さんも当然のようにしてくれる古い通帳返却してくれていたら、今の私はいないかも知れません。

あれから、私はこれだけは逃したくない、言っておかないと後悔すると思った事は、他の人ならば遠慮するか赤面するようなことでも言うようになりました(言いそびれも勿論有りますし、言ってかえってよろしく無かった、ということも多々有りますが………f^_^;)。

加えて、というか当然なのか、失われた記録に遜色ない記録を作らなきゃ!で、溜め込みモード(敢えて溜という字を使います。ガラクタも溜めちゃいましたからね)に突入した訳です。

人生にはいくつかのターニングポイントが有りますが、あの時のあれ、些細な話でしょうが、間違いなく、私にとっては重要なターニングポイントのひとつです(笑)。


ところで、世の中、悪い方に進んでいるというご意見は多く、確かに電電の中での化粧とか、女性の歩きタバコ(迷惑危険だ、オヤジ化すんな(-_-#))、子に犠牲を強いるガマン出来ない子連れ、などなど、色んなマイナスは有りますが、少なくとも商売、サービスの上ではふんぞり返ったオヤジが減って、駅や観光地のトイレもきれいになって、見かけによらず親切な若者などなど、良いこともたくさんあると思います。

※海の見える下り電車より


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